私と反原子力
3.11東日本大震災時における,福島第一原子力発電所のレベル7の事故は私を絶望のどん底に突き落としたと言っても過言ではありません。核戦争を含むあらゆる戦争の次に起きてはならないと考えていたのが,原子力発電所の事故だと普段から意識していたのですから。

しかし,既に起こってしまった事故は後戻りしてはくれません。今後は核や原子力に依らない社会を目指すべきであり,その社会を実現することが私たちの世代に課せられた義務であると思います。

原子力に関して見れば,私個人今回の福島の事故で「反原発」のスタンスを取ったのではありません。実は子どもの頃から「放射能」や「核兵器」の恐怖というものを脳裏に焼き付けて育った過去があるのです。その思いを書いてみます。





振り返ってみれば,放射能の恐ろしさを訴えていたアニメーションがありました。言わずもがなの「宇宙戦艦ヤマト」です。ガミラスからの遊星爆弾で放射能汚染が深刻になった地球は海も全て干上がり人類は,地下に避難生活を余儀なくされるという始まりでスタートしました。イスカンダルへの旅は「放射能除去装置」を取りに行くと言うものでしたが,私は子どもながらに「放射能とは恐ろしいものだ」ということを既に学んでいたのです。

それから数年を経て,国内では「原子力船むつ」の事故や問題がニュースでよく報じられていたのを記憶しています。その当時は原子力船がどのような仕組みで海の荒波を蹴って進むのか理解できませんでしたが放射能が撒き散らされているというイメージがその映像から読み取れました。



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それと時期を同じくしてかアメリカでの「スリーマイル島」原子力発電所の事故は今でもよく記憶しています。70年代の古いブラウン管に映し出された不気味な大きな煙突みたいな構造物から白い煙を吹き出すあの映像は忘れられない出来事でした。



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しかし,やはり一番の大きなショックは1986年4月26日に旧ソ連で起きた「チェルノブイリ原子力発電所事故」でしょう。連日,事故のことをNHKのニュースで朝に夜に解説する様子は今までに感じたことのない危機を感じ取ることが出来ました。つまり私たち人類にとってあってはならない最大の「クライシス」だったのです。

その当時の解説者の言葉をよく記憶しているのですが,その中に「チェルノブイリ原子力発電所の原子炉は設計もいい加減であり,日本では絶対にこのような事故はあり得ない構造である」というものでした。確かに日本は技術立国でしたから十代後半の私にとっては,まさか日本でこのような事故はあり得ないだろう程度に考えていました。

その一方で,原子力発電所の原子炉は30年が限度の設計であるということ,そのあとの管理はコンクリートの構造物(石棺)で覆うしかないということも知っていましたし,米ソの核戦争を題材にした映画も山ほどあったのですから,放射能の恐怖はますますつのってきたと言えるのです。

1988年には「宝島社」から反原発に関する書籍類が発刊され,日本でも「反原発」の機運が高まっていた時期がバブル期に発生していました。原発作業員の生々しい実態を友人から見聞きしていたのもこの時期でしたが,最も理不尽だと思ったのはあの忌野清志郎さんが,某レコード会社から「反原発」の曲が発禁になった挙句,不当な圧力が加わったと言うことです。


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私は,その時に原子力というのは隠された闇の部分で何が起こっているのか,分からないという思いを強くしたのです。それから21世紀…2011年3月11日。あの事故が起きて以来,矢も楯もたまらない感情を今でも抑えることが出来ないでいます。しかし,今や全国で「脱原発」の機運が高まる中,長い長い国民的な闘いが始まったのだと思いを新たにしているのです。


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今を逃しては,二度と原子力を止める術はないと確信しています。
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by rosso_fiolencino | 2011-10-28 20:45 | 反原発
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