イラクの人質事件・日本とイタリア政府の対応
私がどうしても気にかかって仕方がなかったことの一つにイラクの「人質事件」があります。'04年の春先の出来事だったでしょうか、日本人のあるボランティア団体3人ががイスラム武装勢力から拉致されて、ようやく無事救助された時は、私は本当に助かって安堵しました。まだ、当時のイラクの武装勢力は多種様々な、グループが存在していたのでしょうが、現地のイスラム指導者の尽力のおかげで「救出」されました。



しかしながら、彼らが日本に帰国してからは、マスメディアを始め、多くの世論が彼らを「バッシング」したのを見て、「何だ、この国はせっかく人質が救助されたのを素直に喜ばないのか?」と何ともやるせない思いに駆られたものでした。

それからほどなく、'04年10月21日にバグダッド入りした、ある若い男性が前述のイラク武装勢力とは別なグループと思われる者に拉致され、いたましいことに帰らぬ人となりました。

子を持つ親として、何としても息子の無事を必死に神に祈るような思いを、無残にもこのような形にしたのは、言うまでもなく「日本政府」の出鱈目で傲慢極まりない態度であると言わざるを得ません。
武装グループの要求は、「イラクから自衛隊を48時間以内に撤退させよ」という趣旨の元でしたが、このときの「小泉首相」の対応は「テロに屈しない、自衛隊を撤退させない」という、事実上、武装勢力との「取り引き」すら拒んだ内容に、私ははらわたの煮えたぎるような思いでした。

諸悪の根源は、「憲法に反しているイラクへの自衛隊派遣」であり、人命を第一に考えるのなら、日本国家の意思として、火急速やかに「撤退させるべき」だったはずです。

さらに、許しがたいのはマスコミの「異常」な報道ぶりでした、まるで拉致された側に責任問題がある。それ一点張りの「思考停止状態」の報道に、国民の間では意見が、分かれたことでしょう。

実は、去年、この問題で職場の上司ともやり取りをしたことがありました。上司は普段は「人権は尊重するべきである」と言いつつも、このような事件をどう感じるか?という問いに対して、「いや、それでも自衛隊を撤退させるべきではない」といい、私が「人命に関わることですよ。人の親としてどう思いますか?」との問いには、さすがに黙り込んでいたようです。

ここ数年、よく「思考停止」などという「便利な言葉」が横行していますが、私はこの手の言葉を嫌います。ただ、この件に関しては国民全体とまで言わなくても、世相そのものが、「ああ、自分で危険地域に行くから、その人が悪いんだ」という、「思考停止」に陥っていたのではと、改めてそう思いました。

かつて、日本はこのような世相であったとは、私個人はそう思いません。もし、これが20年前くらいなら、日本政府は世論の力である程度押される形で、自衛隊の撤退(もっとも、20年前に自衛隊を派遣することは考えられませんが)を、検討する形で行ったのでは思います。

それと比較して、イタリアでは、記憶に新しい出来事として、今年2月4日にイラクのイスラム過激派に拉致された、イタリア人女性記者のことに関してですが、同月19日にローマで大規模なデモが行われました。彼女は元々、イタリアの左派系新聞のマニフェスト記者であり、「イラク戦争」に反対の立場をとっていました。

イスラム教スンニ派のモスクにて、避難民の様子を取材した後に武装勢力に拉致され、同じように3月16日に「イタリア政府はイラクから撤退して」との訴えに、イタリアの国民は、「一致団結」して動いたわけです。今は神に召されたヨハネ・パウロ2世やヴェルトローニ・ローマ市長を初め、プロディ前欧州委員会委員長(元伊首相)や、昨年、イラクで拉致された女性ジャーナリストなども解放を求め必死に運動を展開する、イタリアの国民性に私は「これこそ、本来、国家や国民やマスメディアの取るべき姿」であると、今でも確信しています。

3月4日に、そのジャーナリストである彼女は解放され、速やかに帰国の途上、イタリア全土を悲しみに陥れるような悲劇が待っていました。解放の交渉に当たったイタリア情報機関員であったニコーラ・カリパーリさんの死です。彼はバクダット国際空港に向かう途上、検問の前で、こともあろうか米軍の銃撃に斃れたのです。彼女を含め2人が負傷した、この事件は、真相を究明を求めたベルルスコーニ伊首相は未だ、本当の原因究明がなおざりになっている形です。

イタリア当局と、アメリカの現地の軍司令官の意見が食い違うところをみると、「意図的」であったのではという「疑惑」が晴れません。
 
私は今でも脳裏から離れないのは、イタリア情報機関員の葬儀が執り行われ、彼の棺にイタリアの国旗が巻かれ、勇敢にも彼女をかばって亡くなった彼自身の「自己犠牲」と、イタリア国民がアメリカのイラク戦争を厳しく非難した、あの映像です。

日本政府とその世論、そして、イタリア政府とその世論、この対応の違いは一体何なのでしょうか?今もって、この国は本当に「国民」の命を守る、そのためにはあらゆる手段を尽くして、努力する。また、マスメディアも世論も「人命第一」という言葉を喪失してしまったとしかいいようがありません。

なお、私は2001年にイタリアを観光で旅行したことがありますが、イタリアでは「聖母マリア崇拝」があって「女性を大切にする」という「国民性」と「ヒューマニズム」が、この救出の背景にあるのだと思います。

今もなお、あのイラクの地でいたましい事件の犠牲になった、日本人青年の方とイタリアの情報機関員のご冥福を心からお祈り申し上げます。
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by rosso_fiolencino | 2005-11-29 20:43 | 政治・時事
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