墨子の思想
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今こそ、憲法9条をめぐっての論争が、激しさを増している感がありますが、古代中国の諸子百家に、「兼愛」と「非攻」を掲げ、諸国を遊説して回った思想家がいました。




墨子、名前は翟(てき)で春秋戦国時代の戦国時代に当たる紀元前5世紀半ばに生まれ、4世紀の前半に没した人です。彼は、当時古代中国の都市国家や諸侯の戦争の絶えない世を見て、庶民の立場から「非攻」つまり、戦争による略奪や人々が殺しあうことを憎み、人々が隣人に対する思いやり、つまり「兼愛」を主張したのです。

しかしながら、弱肉強食のこの時代、小国が大国に攻められ、一般民衆が苦しむのを見て看過できなかった彼は、城郭の整備を整え、あくまでも現代風に解釈するなら「専守防衛」の技術を持っていました。

元々、様々な技術者であり城郭の備えに関しては、後世、彼の影響が大きいと思いますが、やはり、「非攻」と「兼愛」の思想は彼から学ぶことが大きいのではないのかと思います。

こんな逸話があります。

墨子は、斉(せい)の王に謁見し、こんなことを言いました。
「ここに刀があるとしましょう。人の首を切ったら、一刀
のもとに斬り落とせましたが、切れ味は抜群ですよね?」
王は曰く、
「そうだな」
墨子は言います。
「では、何人もの首を同じように斬り落としましたが、切
れ味がいいと言えましょうね?」
王曰く、
「もちろんそうだ」
墨子は問います。
「では、人殺しの報いを受けるのは刀ですか?」
王は答えて曰く、
「刀は斬れ味が問題にされるだけだ、斬った人間が報いを
受けるに決まっている」
墨子は畳み掛けるように言います。
「では、他国を併合したり、他国の軍隊を全滅させたり、
他国の人民を殺し、その報いを受けるのは誰でしょうか?」
王は、しばし、上を見ていたがしぶしぶこう答えた。
「この私が、報いを受けるのだろう」

 
※斉の王=斉の宣王の宰相の田和(でんか)のことであり、君主から実験を奪い、諸侯に加わった。彼の2代前の田常(でんじょう)は主君であった簡公(かんこう)を殺し事実上、斉の実権を握った。
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by rosso_fiolencino | 2005-12-03 18:13 | 諸子百家
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