国・自治体・地域社会は総力をあげて子どもを守れ!その3
先ほどの、NHKニュースを観てこともあろうか、学習塾でも小学生の女の子の命が奪われるというあってはならない事件がありました。子を持つ親として、信頼を裏切られたばかりか、本来、子どもを守り、学力や社会性を育てる「子ども産業」において、怒りと悲しみと、信じらないという思いでいっぱいです。今後、この事件の検証と、このような痛ましい出来事を絶対に再発させてはならないという、世論を形成しなくてはなりません。

しかし、その事件を受けて今日の記事の構成をどうするのか、随分、悩みましたがとりあえず、私の思うところを記述してみたいと思います。子どもの安全を確保するのは、大人社会の「義務」であり決して、大人社会の葛藤や荒んだ世相を子どもたちへ向けてはなりません。悲しいことですが、今や子どもたちに人を信頼しなさいと言い切れない現状に、私たち大人が何が出来るのか皆で考え抜き、何としても子どもの命と人権を守らなくてはなりません。

今日は、過去の出来事から考えてみたいと思います。



日本の1970年代の初頭は「高度経済成長」の波に乗った時代で、核家族化が進みました。それ以前の1960年代、「金の卵」世代の大人たちは、こぞって義務教育を終えたり、高校を卒業すると都市部へ人々が集まり人口が集中しました。その中で、都会では核家族化の下地が出来て、先ほどの70年代には、地域社会との連携が少しずつではありますが、薄れていったのではと推測します。

しかしながら、まだ、70年代の世相は、「子どもを地域で守る」という意識がかなり強かったように、思います。よく近所では「怖いおじさん」の存在がございまして、いたずら者の子どもが悪さをすると、必ずといっていいほど、厳しい言葉で注意していましたが、その反面、地域の子どもたちの動向を「見守って」いたのです。一方当時のマスメディアでも、TVのコマーシャルでは子どもへ社会へのマナーを教え、アニメーションでも「人間性」の尊さがテーマになっていたと思います。

また、私はかつて「国労」等の労働組合の組織率が高く、革新系の勢力の強い地域に住んでいましたが、その地域の大人たちは、今のような「働きすぎ」や「多忙化」といったことはさほどなく、勤務時間が終了すれば、父親は必ず自宅へ帰宅し、今よりはるかに、子どもと接する時間があったことを記憶しています。

地域によっては、「子ども会」なるものが各地域に存在し、町内会を中心に、地域行事の相談や或いは防犯に努めるよう夜の会合に出会し、酒を酌み交わしながら、地域の大人たちの「語る場」があったのです。近くの神社で行われる「夏祭り」や十五夜等の「相撲大会」等、今から30年ほど前は、かつての大人社会は子どもに対して「積極的」に働きかけてきたのです。

ですが、1980年代に中曽根内閣における革新勢力との軋轢で、労働組合の分断化が進むと、国鉄が「分割民営化」されたのを契機に忙しい時代へと突入していった観があります。つまり、労組の組織率が低下すると、職場の民主化や、労働条件の改善が難しくなってきたわけで、忙しく働かざるを得なくなったわけです。さらに、「高度経済成長」により「中流意識」が高まってくると、政治への関心が薄らいできて、全くの「個人主義」が国民の間に浸透していったように思われます。つまり、労組の組織率の低下は、忙しい大人社会を形成し、地域社会への参加が難しくなったというわけです。

さらに、90年代になると「混迷化」した社会へと変貌していきました。文化・社会現象面を捉えていくと、「何でもあり」という、ある種の「ラディカル」な世相が台頭してきました。世はバブルの絶頂期のことですが「マネーゲーム」という言葉が流行りだし、今までの大人は「高度経済成長」以上の「多忙化」を背負わされることになったのです。それに、IT革命のあおりで「コンピュータ」や「携帯電話」でもっと、仕事量が増え、休日は疲れきって、地域社会への参加という元気が消失しているのではないかと思います。

働く世代が疲れると、当然、地域社会の「集団意識」や「教育力」、ある種の「安全装置」や子どもに対する眼差しが、削がれてしまっている。近年における子どもに向けられた「痛ましい事件」が多発している一つの原因ではないかと推測します。

つまり、大人社会が「多忙化」すると地域の力が、削がれ、その隙を突いて子どもが犯罪に巻き込まれるというわけです。

それから、IT社会の普及に関して触れましたが、このIT社会で、この10年間どれだけ私たちの生活が変化したでしょうか?かつては考えられない勢いで、とてもついていけないほどの情報量に圧倒されっぱなしの生活です。

関連しまして、「出会い系サイト」についてですが、その被害者は子どもでもありますし、逆に青少年の犯罪の温床にもなっています。IT産業がもたらした「功罪」をもう一度よく真剣に考え直す必要があると思います。よく中高校生で携帯を持たなくては、彼ら彼女らのコミュニケーションが成り立たない、そのツールが必需品になっている今、「営利優先」の考えから脱却しない限り、この手の事件は延々と続くでしょう。

子どもに何を、伝え、何を残し、何を守るのか。

大人は責任を持って子どもを守るために出来ることから、始めていくときなのだと思います。

この記事はあと少し続くかもしれません。

追記:「大空のサムライ」を著した坂井三郎氏(故人)は、「昔の父親は5時になったら帰宅していた」と語っていましたが、家庭へ仕事からすぐ帰宅し、親の存在があった時代は子どもたちの「健全」な成長があったのだと思いました。
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by rosso_fiolencino | 2005-12-10 20:48 | 政治・時事
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