義務教育費国庫負担金削減に断固抗議する

今、病を押してキーを打っています。いてもたってもいられないことばかりで、気持ちの整理がつかないからです。

さて、政府与党は11月30日に「義務教育費国庫負担金」について、現行の負担率を2分の1から3分の1に削減することで「合意」しました。前の記事にも書きましたが、政府は全く理念なき、単なる数字合わせの「暴挙」に子どもたちの「教育水準」すら確保しないというこの国は、もうすでに国家として役割を果たしていないと言わねばなりません。






未来を担う子どもたちを軽視した「弱いものいじめ」と指摘されても、今の小泉政権は何の言い訳が出来ましょうか?国庫負担金は約20兆円ありますが、それを大別するならば、次のようになります。公共事業関係が5兆円、社会保障関係が12兆円、教育関係が3兆円となっています。

本来ならば、箱モノ行政の無駄が指摘されている中で、公共事業の補助金こそ減らして、地方の自主財源に移譲するべきはずが、このような結果に「教育水準」の維持が難しくなっていきます。どこで如何様な事業を展開するかは、自治体が決めていいことです。しかしながら、「義務教育」は「憲法」にも定められた「国の義務と責任」であり、国内の子どものいるありとあらゆるところには、学校が必要ですし、その定数に即した教職員の数も然りです。

「知事会」や「総務省」は高齢者関係や生活保護の予算を求めませんでした。これは、何を意味しているかと申しますと、将来この分野のお金が増えて、地方の持ち出しが増大することを倦厭したからです。

教育費は「少子化」で将来減ることから他の経費に回せるとにらんでいるのでしょう。

端的に言えば、「金」や「票」に結びついているものは残して、政治的に弱い(文部科学省は各省庁の中で最も立場が弱いという力関係があります)ものや、地方にとって得になるものだけを地方に移譲したということです。

では、この制度の負担金が3分の1になるとどんな、影響が懸念されるかといいますと、本来「義務教育費国庫負担制度」は「国家の重要な事業の一つである義務教育について、『折半・割り勘』で財源を担い、責任を分かち合って推進していこう」という趣旨の元で運用されてきました。これが、このように減額されますと、この関係が崩れ、地方交付税に依存することになります。

法的に言えば、地方財政法で「国が負担金として措置した残りの財源は、地方交付税で手当てする」となっており、「中学校分廃止」(義務教育のうち、中学校の財源から手を付けるという背景があります)よりは安心でき、直ちに影響がないように見えますが、「三位一体改革」で、今後は地方交付税が焦点となり、政府が推進する「三位一体改革」の動向によって「義務教育費国庫負担制度」の存続そのものが、危機にさらされることになります。

この制度が3分の1に負担率を変更することは決着前日の29日に決定しました。その3分の1としたものを、将来見直すか否か、つまり、「全廃するか」「3分の1で恒久措置とする」かをめぐり、激しい論戦が、官邸・与党・文科省・総務省で綱引きが行われました。

合意事項に「義務教育費国庫負担制度を堅持する」と記述する一方で、「また、引き続き検討する」となっており、この3分の1の恒久措置という制度も「玉虫色」です。文科省は「恒久措置として理解している」と主張していますが、総務省や知事会は「国庫負担金をどうするかも検討の中に含まれている」といっています。

結局のところ、知事会は第二期改革で国の負担を3分の1からゼロ、つまり、制度全廃に持っていこうとしています。来年、6月の「骨太方針2006」で、国庫負担金を含む今後の地方財政のあり方についてどうするかが、大きなポイントになります。現在は、一時の休戦状態でしょうが来年の6月に再燃することは火を見るより明らかでしょう。

教職員組合では、この教育水準の維持と機会均等を保障している制度を堅持するべく闘いました。言うまでもなく憲法の「教育を受ける権利」を侵害するからです。過去、「教育の危機宣言」を発して取り組んできました。負担の割合が上記のように2分の1から3分の1に圧縮され、恒久措置も保障されていないことを容認できません。

しかしながら、中学校分の廃止や総務省提案と思われる「交付金化」を阻止できたのは、実質過去、三週間にわたって行われた637万人を獲得した署名運動や、全体の6割にも及ぶ、自治体議会意見書採択をはじめとした、各県の単組・組合員の成果です。

事実、政府は与党内での協議の中で、再三、署名のことや自治体議員の意見書数のことが取り上げられた様です。

政府の「三位一体改革」で、この国の将来を担う、子どもたちの教育水準すら維持できない、「この国」とは何と形容していいのか、言葉すら思いつきません。

資料:義務教育費国庫負担金の削減に抗議する日教組声明

2005年11月30日

政府・与党は、義務教育費国庫負担金について国の負担割合を3分の1とする大幅削減を決定した。また、恒久措置については若干あいまいな部分がある。
共済費や退職手当分も含めると4兆円の補助金削減の内、1兆3千億円に達する。20兆円にも上る国庫補助負担金の中で、なぜ、義務教育費国庫負担金が選ばれたのだろうか。
「負担金」は国が義務として支出するものであり、「出す、出さない」の裁量の余地はない。国会審議の中で、ある議員が「目の前を通り過ぎるだけのお金になぜ文科省は固執するのか」と質問した。義務教育費国庫負担金は公共事業などと違い、役所や国会議員に陳情しなくても自動的に交付されるものである。「目の前を通りすぎる」お金によって、教育の機会均等が担保されているのである。
これに対して「補助金」は役所の裁量があり、国が地方をコントロールする源泉となっていると言える。地方分権の理念からは、このような公共事業関係の補助金こそが地方へ移譲すべきものであるが、官僚やいわゆる族議員の「権益」の壁に阻まれている。
地方6団体は、今後増えることが確実な生活保護や高齢者関係の費用の税源移譲は拒否し、人数が減少するだろう子どもの費用の移譲を求めた。
端的に言えば、「票」や「金」に結びつかない一番弱い義務教育費国庫負担金がねらわれたのである。そこには、教育論など何もない。
義務的経費である義務教育費によって地方財政が圧迫されないために、義務教育費国庫負担制度が生まれたことは歴史的に明確である。地方財政の健全な状態を維持し、自主性を確保し、地方自治を実現するための役割を義務教育費国庫負担制度が果たしていると言える。義務教育の国庫負担増額のために「全国町村会」が発足したことをもう一度想起すべきである。
憲法で、義務教育について「だれもが無償でひとしく受ける権利」が保障されている。子どもたちが、その居住地や家計の収入の多寡にかかわらず義務教育をきちんと受けられるようにする必要がある。そのため、国は優先的に義務教育の財源は確保するということが、義務教育費国庫負担法である。この教育優先の思想こそが、小泉首相が所信表明で引用した長岡藩の故事「米百俵」ではないか。
子どもたちへの教育の失敗は取り返しがつかない。
日教組は教育関係者とともに、637万人もの制度堅持の署名を国民から集めた。義務教育費国庫負担金削減について抗議するとともに、その撤回を強く求め、国民からも異議を唱えていただくよう訴えるものである。

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by rosso_fiolencino | 2005-12-21 17:45 | 政治・時事
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