アメリカ産牛肉輸入再開について・その1

昨日にUPする予定でした、記事にようやく手を付けています。さて、早いもので私が坂本龍一さんのPLAYING THE PIANO/05のコンサートから早一週間経過しようとしています。そのコンサートのMCで坂本龍一さんこと、「教授」は「最後の晩餐」を田中康夫氏(長野県知事)と行ったそうです。何のことかと申しますと、アメリカ産牛肉が成田へ到着するのが今月18日ということで、その前に「安全」な牛肉を食べようというロハスクラブ記者発表会&第1回トークセッションでの一幕を語っていたのです。

さて、私は随分前に「最後の晩餐」をしていたような気がするのですが、一体いつから、牛肉を口にしなくなったのか…食べなくなってかれこれ5年以上でしょうか?






2001年、9.11NYテロ以降、アフガニスタンで戦争が勃発した頃。それと平行して日本国内では「BSE」(狂牛病)のことで世間が「パニック」になっていたようです。あの時は、店という店に陳列されている輸入物から国内産の牛肉はおろか、牛肉を素材としたありとあらゆる「加工食品」まで倦厭していたのですから、何を食べていいのか分からないくらい「食の安全・安心」に神経を尖らせていたようです。

牛肉が食卓へ上ったのは、私の生活を振り返るとちょうど「高度経済成長」が高まって日本が「電子立国」として確立し、世界に日本の電子関連の産業が根付いたころ、日本人が皮肉な言葉で「エコノミックアニマル」と言われた時代だった記憶があります。

それまで、「食肉」と言いますと、「ホルモン」といいまして「豚肉の腸」を細切れにしたものをにんにくと確か味噌と味付けしたものを、鉄板の上で焼いて食べていました。とても歯ごたえがありすぎて何度も「咀嚼(そしゃく)」しなければならず、今で言うジューシーで柔らかい肉というのとは程遠い肉でしたが、あの独特な味と歯ごたえは30年近く経過しても忘れることのない思い出です。

さて、それから「牛肉」が食卓に上ったときに何が一番うまかったかと言いますと、「タン」つまり牛の舌の肉がうまいので80年代の前半は私にとって「ぜいたくな食品」と言えば、その「タン」であったわけです。それから景気がよくなってから比較的「安価な」牛肉が出回り、牛丼店や焼肉店では豚肉よりもコクがありやわらかい肉である、「カルビ」などの牛肉を機会あれば食べていました。

しかし、1998年頃からイギリスで大量の牛が、焼却処分されているニュースを観て「一体何故あれだけの牛が食肉にされずに処分されないといけないのか?」と目を疑うような、光景が映し出されていました。その時はまだ「狂牛病」(BSE)という言葉は、マイナーだったような記憶があります。ただ、牛が異常な死を見せそれが食肉にならないという「不気味」な現実に、このときから食肉安全の「自己防衛意識」が芽生えていました。

まだ、その当時は「クロイツフェルトヤコブ病」と牛肉との関連の指摘が浅く、「異常プリオン」という言葉すらなかったのでとりあえず20世紀までは「牛肉」を食べていました。

2001年の夏、9.11NYテロの十数日前にイタリアとパリを周遊したとき、ミラノで昼食を食べることになりました。あらかじめ添乗員の方がミラノのレストランで昼食のメニューを予約していたのですが、ミラノの「カツレツ」料理は「狂牛病」の危険性があるので、本来ならば牛肉のところ豚肉を食材として特別に念のためお願いしたと告げました。その日の昼食は、まぁまぁ美味かったのですが、後に帰国してからイタリア産の牛もBSEの対象になったという週刊誌の記事を読んで、あのときの添乗員さんの「配慮」に感謝しきりでした。

アメリカ産の牛肉が18日空輸第1便で再開されました。本当に、アメリカ産の牛肉は安全なのでしょうか?

今日は、とりあえずここまで。
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by rosso_fiolencino | 2005-12-23 09:55 | 政治・時事
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