加藤周一さんと藤原帰一さんの対談・再生への洞察「戦後61年・日本」
正月の新聞記事を読んでいますと、「社説」の中に「戦前回帰が懸念される」とありここにきて「言論の自由」を失われる危機を新聞社自身が世の中に警告を発している感がある一方で、「憲法はもとより不磨の大典ではない」と論じ、「時代に合わないところは直していかなければならない」としています。
しかし、戦後の日本の根幹になってきた憲法9条を葬り去っていいのかという「矛盾」した「社説」の中で一体「ブンヤ」の真意はどこへいったか?という疑念も生じてきます。

私個人は、周囲からどんなに「頑固者」と言われても「日本国憲法」はその一字一句を絶対に書き換えてはならない「頑固な護憲主義者」という立場をとります。それは、過去、社民党の土井元委員長が「頑固に平和憲法を守る」という選挙のキャッチフレーズがありましたが、私も護憲運動にかかわる中で、この「憲法」は「日本だけの宝ではなく、世界に堂々と主張してよい不磨の大典である!」と強い姿勢で憲法を遵守するべきであり、「時代に合わなくなった」という「社説」そのものは逆に時代が逆行・退化しているのであり、それを論ずるに価しないものと私はそう思います。



さて、新年の特別企画と言うこともあり、元旦の新聞記事はこぞって憲法や安全保障の問題、アジア外交の行き詰まり、国民の生活の負担等をあげています。また、小泉首相と宇宙飛行士の野口さんの対談を記事にするなど、玉石混合の、記事の寄せ集めと言った印象もあるのですが、今回は、作家の加藤周一さんと東大教授の藤原帰一さんの対談が記事になっていましたので、所々、対談の部分をピックアップしたいと思います。

実は、私はこの二人、勉強不足なので何をされていらっしゃる方なのかよく存じていません。ただ、加藤さんはあの「9条の会」の設立者の一人である大江健三郎先生と憲法を守る運動を展開され、日本文学や文化の解釈に多大な功績がある方です。1919年生まれということであの戦争をリアルタイムでご経験なさっていると言う点も見逃せません。もう一人、藤原さんは現在、東大教授で教鞭を握り、専攻は国際政治学ということで、アジアと米国の関係や、安全保障、ナショナリズムの問題をはじめ、国際政治の構造変化を幅広く研究なさっているとのこと。

今回は、このお二方の対談を読んで、今後のこの国の行く末をどう見据えていくのか、そして我々は「何を正しく『選択』していかなければならないのか」という一つの、「指針」になればと思い、要約して記事にしたいと思います。


◆東アジア

藤原(以下F):中国政府が、経済発展で衰えがちになる国防の団結を維持するため、反日感情を利用している側面は否定できない。しかし、日本政府は、相手の反発を強化する選択をしている。

加藤(以下K):靖国問題は外交問題の争点であると同時に、中国の大衆感情とも直接関係している大衆感情は政府を縛るから、政府も譲歩しにくくなる。やはり靖国参拝には無理がある。

F:戦争責任を考えるとき、日本には「戦争を始めた責任」という概念がどこまであったのか、ずっと疑問に感じている。近代国際政治では戦争は政府の政策であり、だから制限ができるという考え方になる。しかし、戦争が天災のように避けられず、個々人の選択によって左右されることが難しい領域であるとすると、わりに簡単に責任が回避できてしまう。

K:難しいところですね。近代法では、個人が自由意志によって決断し行動した結果、責任を取る。しかし歴史主義に立てば、歴史は原因と結果の鎖の中で解釈され、経済的基盤や社会機構などが必然的に戦争を起こすという考え方も出来る。

F:軍事的には、日本は今も米国の核抑止力に頼り、中国、北朝鮮を脅すことで安全を保つ状態である。ここで北朝鮮が核を持つことは、韓国も核所有を考え、日本でも核武装論が強まるだろう。核抑止に頼らない状況を模索しないと、核拡散に向かう可能性が高い地域である。

K:戦後の世界で、大きな戦争は米国ばかりがしている。それらは、全て失敗。朝鮮戦争は引き分け、ベトナム戦争は敗北。湾岸戦争も、フセインをクウェートから撤退させるだけならもっと簡単に出来た。イラクは泥沼だ。もし、紛争がアジアで起これば、日本にも米国にも関係がある。軍事的手段に訴えずに解決するためどう努力するのか、考えなくてはならない。

F:日本は、核を減らす主導権をとることができる立場である。広島・長崎の被爆体験を核削減の構想に結びつければ、各国は無視できない。東アジアの各国が安全保障の論議の場が六カ国協議である。

K:アジアの国々が日本の右寄りの傾向がどこで止まるのか分かれば、激しい緊張関係にならないだろう。アジア諸国に不安があるときは反応が激しい。

F:国内世論は日米同盟を中心にした外交に賛成しているのかもしれないが、日本が地域の緊張を緩和し、日本の外交的影響力が強まれば、世論も確実についてくる。そのためには日本が戦争責任について、今とは違う立場を明確に示すことが必要。細川護煕政権が植民地支配を謝罪したとき、支持率は上昇した。不可能なことではない。

K:憲法9条、教育基本法、教科書問題、靖国参拝、国旗国歌法など一連のことは無関係ではない。同じ方角を向いている。しかし、日本の全体の姿勢を変えることは原理的に不可能ではない。そういう決意をすればいい。だから自由意思であり、選択の範囲の問題である。

F:欧州統合のような明るい未来に行くまで、まだまだ踏むべきステップは高いが、互いに戦争を絶えず準備する必要がないところまでもっていけたらいい、中国が文化大革命を進めた1960年代に比べれば、今のほうがやりやすい。

◆精神の自由

K:戦時中は道理に合わないことを朝から晩まで聞かされ、最小限度の知的正直さが侵される苦しい経験をした。知的拷問である。8月15日に初めて正気に返り、開放されたと感じた。当たり前の人間生活に帰るという感じだった。

K:戦後は焼け跡で、物質的には酷かったが、希望があった。やはり、人間の生活はパンだけの問題ではなくて、精神の自由が重要。前が暗くない人は、希望の明るさが分かりにくいと思う。

F:今の日本は、自分の自由な意思で物事を変えられるという考えが、都合よく放棄されているのではないだろうか。グローバリズムは仕方ない、米国との関係は変えられない。しかし、投票で政権交代は起きるし、個人の行為に意味がないと先取りしていまえば、ハーメルンの笛吹きのように皆、海に落ちてしまう。

K:皆が、全体の流れを変えようと臨めば変えられる。乗り越えられない困難はない。

以上:続く。
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by rosso_fiolencino | 2006-01-02 16:45 | 政治・時事
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