加藤周一さんと藤原帰一さんの対談・再生への洞察「戦後61年・日本」その2
昨日に引き続きまして、加藤周一さんと藤原帰一さんの対談の記事をご紹介します。

◆小泉自民

加藤(以下K):まず、指摘したいのは、日本がそれほど大きく変化していないことである。1945年の敗戦で大きく変化したが、その後は権力の構造や政策の「方角」は根本的に変わっていない。変化というより、戦後の「延長」である。例えば、憲法9条。解釈改憲による軍事力増大に限界が来たから条文をいじろうというだけである。社会的・政治的機能や思想的立場が変わろうとしているとは言えない。

藤原(以下F):自民党はもともと改憲を追及し、憲法を守る意思のない政党がずっと与党である。そして自民党以外の与党を考えることはほとんど空想的であった。対外政策でも、米国との同盟関係は変化はない。言論では、米国との関係を見直そうという論議はあるが、政策ではナンセンスだという筋書きだ。





K:小泉純一郎首相を中心に盛んに「改革」と言う。しかし、私は、改革の「印象」を与えているだけで、実際は意図的も実行されていないと思う。政治はなし崩し的に、ずっと右寄りに動いていて、今また、少し段を付けているに過ぎないと思う。

F:選挙では、やはり小選挙区制の効果が大きい。小選挙区制は与野党の交代を容易にする側面と、小政党の意味を奪う側面の両方がある。自民党の中の派閥を弱め、求心力を高めたのも選挙区制度の効果だろう。

K:簡単に言えば、自民党の票が減っても議席は減らさないための制度である。小選挙区制度というのは、小政党が乱立した時、ある程度大きな政党に整理して政治を安定させるためのものである。ところが、日本は全く反対の状況なのに、十分な議論もないまま導入されてしまった。

F:去年の総選挙で気になったのは、世論のことである。自民党への票の動きを見ていると、どうも世論は選択肢が無くなっていることを喜んでいるとしか思えない。本来、世論は既得権益や軍隊が大きな顔をすることに反対のはずで、世論と結びついて批判をするのが、社会の木鐸(ぼくたく・出典「論語」)たる新聞。ところが新聞が、世論と自民党からたたかれてると言うこれまでにない図式が現れている。

K:メディアにも問題があったと思う。新聞が強調したのは二大政党だった。しかし、民主党は改憲を巡って自民党と意見が違うわけではない。二大政党は幻想というか、フィクションだと思う。

F:ほとんどの新聞は総選挙で小泉自民党に批判的だった。週刊誌にも女性「刺客」候補を揶揄(やゆ)した。しかし、小泉首相の言葉が活字メディアを飛び越えて人々に届き、なだれのような支持を得た。しかし小泉首相が郵政改革の選挙だと言うと、世論が動いた。新聞やテレビにもかかわらず、小泉首相の大衆操作が成果を収めた。

K:私はね、1930年代末を思い出す。外国では戦争が起きていても、国内はあたかも平和のように静か。小さな変化が徐々におきているが、ある時点に劇的な変化があったのではない。その間に、精神総動員やブレーンウオッシング(洗脳)が有効に働いているという状況だった。1936年に2.26事件があり、1941年に太平洋戦争が始まっているが、その5年ほどの時期に似ている。

以上:次回まで続く。
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by rosso_fiolencino | 2006-01-03 16:33 | 政治・時事
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