加藤周一さんと藤原帰一さんの対談・再生への洞察「戦後61年・日本」その3
加藤周一さんと藤原帰一さんの対談の記事も今日で最後にします。今年の新たな指針を得るため何を考え、行動するのかを私自身が考える一つの材料にしたいと、この記事をUPします。

◆戦争責任

藤原(以下F):米国では最近、イラクでの戦争に対する批判が高まっている。国民をだまして戦争を始めたのでないかという論議です。もちろんうまくいっていないからだが、日本が逆である。イラク戦争に反対するような論議をしていたメディアも、もう世論がついてこない、相手にされない、と引いている。少し流れが違う。






加藤(以下K):日本は軍備増強の方、右寄りの方へグラフが上向きだが、米国では戦争支持的な考え方は下がっている。グラフはいつかクロスする。それは戦後初めてのことではないか。私は、米国における戦争批判は、靖国参拝問題の批判にもつながっていくのではと考える。中韓がどう反応しようと、米国に頼っていればいいと言う単純な見方ができなくなる可能性がある。

F:あり得る。靖国参拝には米国が関与したくない、日中韓で解決してほしいというのが基本である。ただ、第二次大戦の解釈で言えば、米国は、当然、日本に戦争責任がある立場。あの戦争はアジア解放戦争で東京裁判が間違っているというのなら、米国の歴史解釈とは反する。

K:欧州と日本の人々の戦争責任への常識にも、違いがある。欧州の人々にとって、ナチスを裁いたニュルンベルク裁判の向こうに東京裁判がある。彼らがニュルンベルクを否定することはできない。

F:戦争責任をやかましく言うのは中韓だけだという共通理解が、日本の中でつくられているような気がするが、東京裁判の手続きにさまざまな過誤があったとしても、あの戦争がアジア解放の戦争だと主張すると、戦争責任を否定することになる。これは日本以外の国では支持のない議論である。

K:A級戦犯というのは東京裁判が決めたわけだが、靖国神社はA級戦犯としてまつるのではない。むしろ国民的英雄として東条英機をまつるわけだ。だから真っ向から東京裁判と衝突するし、戦争全体を肯定することになる。


さて、皆様はいかようなご感想をお持ちになられたでしょうか。もちろん賛否両論あるでしょうし、それぞれのお考えもあるかと思いますが、まだまだ、民主主義とその根幹を成す、「憲法」を守る闘いは暗礁に乗り上げてはいません。希望を捨てず、前進あるのみでしょう。
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by rosso_fiolencino | 2006-01-04 19:09 | 政治・時事
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