確定交渉における地方構造改革の弊害について
随分、更新が長引きましたが久しぶりに記事を書く思いです。

さて、前回「確定交渉」が異例の年をまたいで、県公労(県職労・県教職員組合・高教組・県立短大教組)は、給与表の改定に「妥結」した形で終了しました。「わたり全廃」ということを前回言いました。そこで、その「わたり」とは一体何なのか例を挙げますと学校における給与表は一般の教職員と校長・教頭の給与は、それぞれ昇給するにしたがって、その給与の一部が一般の教職員ですと年齢と経験があれば管理職の給与体系と重なる部分に位置づけられるというものです。



これが、世間やマスコミで叩かれ「改革を加速させろ」といういわば「糾弾」以上の非難に晒されている現状があります。他のほとんどの県もこれにならって給与表が見直されているのかもしれませんが、その最初の布石が実は、「国公立大学の法人化」であったのです。何故、その法人化が地方教職員による給与体系とリンクしているのかと申しますと国公立大学の教授の給与体系が、小中高の教職員の給与体系の拠り所になっておりまして、その法人化は事実上「不当な賃金操作」に繋がる可能性があると「国公立大学の法人化」でその危機感を感じていました。
おそらく、世間の人々はこの「法人化」に関する裏をどれだけご存知だろうかと思ったりもしますが…

新聞の論調も、わたり全廃で苦しい財政状況で納税者である県民にもはや説明がつかないと書きたて、長年の労使の慣行に終止符を打ち、県の10年間で人件費の8~13パーセントを削減し、改革の進捗状況は県民の厳しい目が注がれ、「わたり全廃」は通過点に過ぎないと言う「現場現状無視」の「不当な報道」に激しい怒りを感じます。

何故ならば、例を挙げるなら、今まで教育行政職の連中は、あれこれ学校現場へ圧力と「指導の名のもと」散々、威張り散らし、自身は言いますとのうのうと教育事務所や教育委員会のデスクにふんぞり返り、無事、その地位に甘んじ退職金までもらっていったいわゆる「団塊の世代」以上の年齢の人々は、お咎めなしで安穏と老後を過ごす不公平さを個人的には感じたからです。実際、教育指導主事を引き上げる自治体が去年頃から見られたのもその背景があります。

一番、苦労が絶えない現場の教職現場は、給与水準の見直しで若年層の士気の低下は避けられません。ご存知の方も多いかと思いますが、現在、教育の現場は「戦場」と言っていいくらい「多忙による健康破壊」が進んでいます。ただでさえ公務が激務であると言いたいのです。担任は、普段の授業の教材研究の余裕の時間の保障すらなく。子どもたちの日記帳・漢字調べ・宅習調べ・学級通信や公文作成の文章をパソコンで処理し、クラスで様々なトラブルを解決し、多忙な同僚の手も借りられず自己の裁量で処理するケースも少なくありません。また、放課後は部活動やPTA等の会合で勤務時間外の仕事に圧殺され、土日も部活動の練習、何々大会への出場のための引率、その引率費用の自腹を切ることもたびたびです。

さらに、荒れた学校では、荒れた子どもたちへの指導や保護者への働きかけでどれだけの多大なストレスとある種のやるせない思いを抱えて現場で苦労しているかということです。ある中学校では「卒業式」は校舎破壊やたむろがないか校内巡視を「徹夜」で行い、正直、勤務時間外の「無償の報酬」が野放しにされているという現状をどれだけの人々が知っているのでしょうか??

どこかの企業で「サービス残業」で数億円の支払いを命じられたケースがありますが、教育現場では全く、それは望めなく、「不当なサービス残業」に晒されているのが「恒常化」しているのです。年々、それに加えて「教職員の不祥事」や「精神疾患による休職」が報じられていますが、現場では「熾烈」な苦労がどれだけ、世間に発信されているでしょうか?

確かに、今、財政的な圧迫に晒され経済格差で「公務員攻撃」が加速している現状は理解できます。しかし、学校現場は「憲法番外地」と言われるほど、「日の丸君が代」による不当な東京都の教職員大量処分で裁判で争っている現状もありますし、「教育ファシズム」でどれだけの良心的な教職員が、日々、苦悶を強いられているのかマスコミはただ、パッシングをすればいいものではないのです。

石原東京都知事による「教育ファシズム」については、またの機会になるのかもしれません。
ただ、一方的な現状無視の報道を激しく「糾弾」します。
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by rosso_fiolencino | 2006-01-29 18:14 | 政治・時事
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