21世紀は人権と共生の世紀
過去の記事ですが、読んでくださればありがたいです。

2005/10/26(水)
21世紀は20世紀の第一次・第二次世界大戦の惨禍を教訓に、「人権と共生の世紀」と言われています。しかしながら、国際的には9.11のNYテロに始まる、テロとの恐怖とそれを煽り立てるような、アメリカのブッシュ政権に翻弄され、アフガニスタンやイラク戦争が勃発し、また、各世界地域では民族紛争が絶えません。




また、貧困や飢餓、犯罪、虐待など、様々な国々の人々、とりわけ、子どもたちの命と人権が奪われ、危機に直面しています。

一方、国内に目を向ければ、敗戦・戦後60周年を迎える、今現在でも、中国残留孤児や被爆者の人権問題、また、沖縄に代表されるようなアメリカ軍基地問題や、今回の自衛隊派遣(派兵)に関しても戦争の傷跡が癒えているとは思えません。

国内では、様々な「差別」がまかり通っています。女性差別や、雇用差別、門地や地位を振りかざした歪んだ人間関係、ネット社会における誹謗中傷等、枚挙に暇がありません。「障害者」自立支援法の改悪や差別、「同和」問題に関する差別はマスコミが報道しないだけで、「厳然」としてその差別が続いています。「ハンセン病問題」に関しては、今日の新聞を通読すると、旧植民地支配によるハンセン病訴訟において、台湾原告と韓国原告側との明暗がはっきりと別れ、台湾訴訟では原告に補償を求めたましたが、韓国の原告側には「不当判決」が言い渡されました。

何故、このような「差別」が今日まで続いてきたのか、これは国民的課題であり、政府や行政当局はありとあらゆる差別と偏見をなくすよう、国民に積極的に働きかけるべきです。「差別」には様々な「負の側面」がありますが、「差別」で尊い人の命さえも奪うという理不尽な事柄が、見受けられます。

では、何故、「差別」はいけないのか?

これに対する明確な「答え」を考えなくてはなりません。

それは、「差別」によって、人と人との関係を断ち切り、分断し、互いに「憎しみあう」という非生産的な、人間関係を構築してしまうからです。

人として「生」を受けた以上、自分の住む国、地域、性別、等は、自ら「選択」できません。それを理由に「差別」された人の「痛み」を理解し、「差別される側」も「差別する側も」人間としての道を閉ざされてはならないのです。

私はイデオロギーの多様化はあって当然だと思います。様々な「生き方」があるわけですからその多様性を認め合い、「お互いに共存・共生」しあう社会の実現と、理想を持たなければなりません。「十人十色」出典は「三国志」からですが、十人人がいれば、皆、顔も違いますし、個性もあります。これらを「尊重」しあい、「互いに歩み逢え」ればどれだけの、恩恵がもたらされるでしょうか?

もう一つ、自分の「命」は自分のものという考えがあるかと思います。年間、多くの国内における尊い命が「犠牲」になっていますが、命は自分の祖先から引継いだ、貴重な「宝物」です。その過去の不当な「差別支配」にあった過去の歴史において、私たちの祖先の苦難と犠牲と、努力によって今の自分があるのだと、私はそう思います。命は平等です。人の世に光りと栄光と、不当な差別からの「解放」を願ってやみません。

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by rosso_fiolencino | 2006-02-04 09:48 | 政治・時事
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