憲法記念日
先日、祖父の死去という事柄もあって親戚一同が亡き祖父の家に帰省する機会もなくなるだろうと思い、気の合った親戚の自宅に母と妻子を連れ久しぶりに列車の旅にでました。5月3日~5日までの間、「心の洗濯」をしてきた後、改めて、5月3日は「憲法記念日」であったのだと、戦後61年目のこの年の日を考えてみました。

新聞の識者の「憲法」に関するコラム欄が、ここ1~2年の間盛んに書き立てられていますが、やや下世話な表現をすれば、「右左翼中道」の意見を「公平」に述べているぞ。といった感があります。



しかしながら、様々な意見を集約して読んでいくうちに、私個人、不機嫌極まりない思いを新聞のコラム欄から感じ、先行き、不透明であると同時に、国是である「憲法擁護」の主張が「反体制側」に向いてきているという、この国の「地金」と「本性」が見えてきたということです。

戦後の憲法、特に9条は政府・アメリカの安保体制と市民運動によって9条は守られ維持されてきたという事実があります。つまり9条を守ってきたのは、体制側である政府ではなく我々の祖父母の時代の人々が、血の涙を流しながら、裁判で勝ち取ってきた積み重ねであったのだとそう思うわけです。

よく、新聞のコラム欄を読めば、9条の2項は削除するべきである、自衛隊は「曖昧な存在」ではなく、「はっきりと国際貢献できる」位置づけをするべきでなければ、他の国との対等な関係を維持できないという「稚拙」な論調を載せるに至っては、それこそ今までこの国の「保守的な護憲主義」がこの国の進路を塞いでいる「改革を推し進める小泉流の改憲主義がカッコいい」と言わんばかりです。

繰り返し、祖父の死去から考えていることは、実際に中国大陸で激戦を戦い、戦争の修羅場を経験した世代が減り、9条に対するリアルな想像力、もし、改憲に至ったらどのような結末に至るのかという、ビジョンを描くことができない世代が私を含め主流をなしているという現実にあるのではと考えます。

9条2項を削除し、手荒な自民党草案の通りに、国民投票によって「改憲」されるのであるならば、歴史は繰り返すということはもとより、グローバルな視点から、その先を見れば、人類史上もう後がないという事実があります。「核」は私たちが知らないうちに世界中に散らばってしまっているでしょうし、もしアジアで何らかの「有事」が起きたときに、アメリカの国益が優先し、日本の国土か周辺地域はどのような「惨禍」を招くのかを想像することです。

そうなってからでは、遅いわけでございまして、後で「取り返しがつかなかった」というのでは真の選択とはいえないのではないのでしょうか?

北朝鮮・中国脅威論は、全く否定しませんが、実際に日本の同盟国であるアメリカの現状はどうでしょうか?21世紀9.11NYテロ以降、アフガン、泥沼のイラクでどれだけの民衆が傷つき、どれだけの多くの犠牲をアメリカという「超大国によって殺戮」されている現状を見るべきです。それと同じような状況をこのアジアに持ち込んで、アメリカ主導でこの国の「国是」である「改憲」するメリットがどこにその根拠があるのでしょうか?

マスメディアはこのようなことを、報道せず、一方的に極東アジアの軍事的な「脅威論」ばかりを報道し、「不況・格差社会」で活力と不安で浮き足立った国民の判断力の削がれた状況の下、「改憲こそがこの国の巧妙ある進路である」という暴論をぶちまけるやり方を、私は激しく糾弾します。
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by rosso_fiolencino | 2006-05-06 09:23 | 政治・時事
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